印度の人 「ハイ、ミスター。ここに指置いて。スキャンして」
記者 「はいはい、指を置くのね。で、この指紋認証って、指はスライドさせなくていい?」
印度の人 「ミスター、指、そうじゃない。指先を自分に向けて」
記者 「???や、ごめん。マジで英語分かんないので、もう一回言って」
印度の人 「ミスター、そうじゃなくて、こう!」(実力行使。記者の手首を掴んで180°回す)
記者「!!!! ……………」(急に手首を回されたことに驚いて、声が出なかった)

いきなり何事かと言うと、少し前に行ったITソリューションのイベント会場で見かけたあるインド企業のブースで、生体認証端末のデモを見せてもらっていたときの会話です。本当は日本語と英語、互いに別々の言語で話していていたのですが、なんだかフィーリングだけで会話が成立していたので、記者のボディーランゲージもなかなか大したものです。自画自賛してもいいでしょうか。

英語が話せないことを英語で伝えるには、どうしたらいいの?

大きく「INDIA」と書かれた看板がかけられたインド企業の共同出展コーナーの一角に、「日本語でどうぞ」という貼り紙が見えたので、ブース内にいた見るからにインド人っぽい説明員に遠慮なく質問。日本語で。

画像: 見切れちゃってるけど、インドの共同出展コーナーにはこんな看板がかかっていた

見切れちゃってるけど、インドの共同出展コーナーにはこんな看板がかかっていた

記者 「えーっと、ここ(のブース)は、何を紹介しているんですか?」

次の瞬間、説明員が満面の笑みを浮かべて応対するも…その返事は明らかに英語。戸惑う記者の表情などお構いなしに、資料のページを開いて一方的に英語で説明し始めました。
 
記者「ちょっ、待っ!ソ、ソーリー。アイ キャナット スぴーク イんグリッシュ!
印度の人「Oh, you're speaking English. Very good!」

てっきり日本語が通じるものだと質問しただけなのに、まるでテンプレのような外国人との会話を実際にやることになろうとは。しかも、欧米人なら「I can not speak English」とさえ言っておけば Why?のポーズ ←こんなふうに肩をすくめて無視してくれるのに、「英語は話せない」と英語で伝えると、それは「話せる」になってしまうという…これはインド人の国民性なのか、この方のキャラクターなのか。

それはさておき、メカ好きの記者の目は展示されている謎の機械を見逃していません。

記者(少々野暮ったいデザインだけど、記録回路に取り付けたら性能が数倍に跳ね上がりそう… いやいや、指紋リーダーと液晶モニター、小型のプリンターを搭載…何の機械なんだろう?)

印度の人「これ、アドハー対応の指紋認証装置」
記者「アドハー??」
印度の人「そう、アドハー。"Aadhaar"」
記者「会社名とか製品名じゃないよね?何のことだろう?」

それは、人類史上最大規模の生体認証基盤の国家プロジェクト!!

「Aadhaar」(アドハー)とは、インド固有識別番号庁(UIDAI)が2010年に導入した国民ID制度(国民総背番号制)のこと。インド全国民を対象に12桁の固有番号を付与し、国民一人一人の名前、住所、性別、生年月日、顔写真に、目の虹彩、手の指紋(10指)を紐付けた生体情報付き国民IDカードを、老若男女すべてのインド国民に交付しちゃおうという計画。
言わば「インド版マイナンバー」ですが、アチラの方が先発ですので、むしろ日本のマイナンバーの方を「日本版アドハー」と呼ぶべきなのかも知れません。

画像: Aadhaarを赤ん坊も含めた全インド国民に普及させるため、モディ首相自ら顔出し せっかくだからMリオのコスプレはいかが?

Aadhaarを赤ん坊も含めた全インド国民に普及させるため、モディ首相自ら顔出し
せっかくだからMリオのコスプレはいかが?

少し前から「未来のIT大国」とかなんとか言われるようになったインドですが、なんとアチラは戸籍はもちろん、住民票も存在しないのだそうです。詳しい理由や、今でもそうなのかは分かりませんが、これまで子供が生まれても届け出て登録してもらうということをしてこなかったので、身分証明が困難になってしまい、銀行口座が作れないとか、口座がないから携帯電話等の契約ができないとか、いろいろ困っていた人が多かったようです。さらに、行政が貧困層向けに実施している食料配給を受けられない人がいたかと思えば、実在しない人物(ゴースト)になりすましたり、公務員が役所のデータを改ざんしたり等、不正に受給するケースが後を絶たなかったのだとか。
そこで、インド政府が大ナタを振るって、本人確認のための生体認証基盤を整備することで、不正受給を撲滅し、行政サービスや社会保障がインドの全国民に平等に行き渡るよう、生体情報付きIDカードの交付を始めました。

インド政府は2010年秋の制度開始当初、2015年までに6億人の登録とカード交付を目標に掲げていましたが、開始からまもなく6年になる現在では、インド国民12.5億のうちの約10.4億人が登録済みで、普及率は8割以上とのこと。さらに成人に限れば、なんと『97.6%』もの人々がAadhaarカードを持っているのだそうです。6年で10.4億人ですから、単純計算でも1時間に約2万人というとんでもないハイペースで普及したことになります。

日本のマイナンバー制度では、生体認証による本人確認なんて真似できませんし、アメリカのSSN(Social Security Number:社会保障番号)でさえ、その名のとおり社会保障や税務用の番号という性質しか持っておらず、本人確認や生体認証はできません。
それなのに戸籍制度のないインドで、10億人分の住民情報のDB化とIDカード交付がスムーズに進んだのは、↑上のモディ首相の写真の下にも書いてあるとおり「No costs, only benefits」(メリットしかなく、しかもタダ)という点が、よほど魅力的だったのでしょう。Aadhaarカードが身分証明書になるので銀行口座開設時の本人確認が簡単になり、住民票と同等のデータが登録できたことで実在しない「ゴースト」への配給はなくなり、逆に身分証明ができず行政サービス等を受けられなかった人たちが、ようやく義務教育、生活保護、行政サービスなどが受けられるようになったり、運転免許を取れるようになって雇用や社会進出の機会が広がったりするなど、普通のインド国民にとっては、文字どおり「メリットだけ」。その結果、既に約3億の銀行口座開設、約1億3千万のLPガス購入契約、約1億4千万の食糧配給カードの配布、約7700万の農村雇用保障制度(MGNREGS)データベース利用などが、Aadhaarを介して提供されました。
Addhaarカードによる個人ID照合の際は、12桁の固有IDと指紋認証または虹彩認証によってDB内の顔写真と照合されるのですが、現在も1日1億件ものID照合がインド全国で絶賛稼働中。今やインドこそが世界最大の「生体認証超大国」の座にあると言っても過言ではないでしょう。

画像: 記者も自分のAadhaarカードを作ってみた…Photoshopで(笑) ちなみに、左のカードは紙製、右はICチップ内蔵型

記者も自分のAadhaarカードを作ってみた…Photoshopで(笑)
ちなみに、左のカードは紙製、右はICチップ内蔵型

ボロでも野暮でも「ヤッたモン勝ち、動かしたモン勝ち」がITの掟

さて、冒頭のインド企業のブースでの話に戻ります。この時記者が引っ張り込まれたのは、デジタル識別ソリューションを出展していた「Srishti ESDM」(スリシュティESDM)という企業のブース。
この企業は、インドでAadhaar対応の決済システム"AEPS"、インドのデビットカード"Rupay"(ルペイ)、およびクレジットカードでのセキュアなオンライン決済を提供する店舗用端末を開発しているらしいのですが、インドの巨大なIT市場、とりわけIoTの市場に進出しようと計画中の日本企業のために、この先インドでは欠かせなくなるAadhaar対応ソリューションでお手伝いしますよ ――という目的で出展していたそうです。でも、そんなことを英語でまくし立てられても聞き取れないので、取材時の録音データを後で何度も聞き返してこの記事を書いているということは内緒ですよ。

画像: Aadhaarカードの情報と指紋認証で本人を識別する、Androidベースの店舗向け端末。銀行のATM端末のような大型のものから、店舗向けのテーブルトップ型やハンドヘルド型端末、さらにスマホ向けアプリなどもある

Aadhaarカードの情報と指紋認証で本人を識別する、Androidベースの店舗向け端末。銀行のATM端末のような大型のものから、店舗向けのテーブルトップ型やハンドヘルド型端末、さらにスマホ向けアプリなどもある

印度の人「ミスター、これ、ウチの製品。ウチが作ってる」
記者「なるほど。インドの生体認証機器ね」
印度の人「これ、お店に置くサイズ。大きいサイズ(ATMサイズ)は持って来てない」

印度の人「ほら、これ見て、ミスター。これ私のAadhaarカード」

画像: ホンモノのAadhaarカード。顔写真、名前、性別、生年と、12桁の固有番号が記載されている

ホンモノのAadhaarカード。顔写真、名前、性別、生年と、12桁の固有番号が記載されている

記者「へー、QRコードとか入ってんじゃん……ってか、なんかボロボロだぞ」
印度の人「端末にカードの番号を入力。バーコード入力もOK。そしたらインドのサーバーに登録された、私の個人情報と照合」
記者「そこで指紋認証?」
印度の人「そう。こうやって…

画像: 指紋認証中。この指紋リーダー、指先を手前に向けないと読み取れないみたいで、指を乗せづらい

指紋認証中。この指紋リーダー、指先を手前に向けないと読み取れないみたいで、指を乗せづらい

記者 wktkワクワクテカテカ

――20秒後
記者「…なんか時間かかりすぎじゃね?」
印度の人「ルーティングの問題かな?なにしろインドにつないでるから…」
記者(衛星中継の音声だって、もうちょっと早いぞ)
印度の人「あ、認証来た!こんなの。お店で本人確認に使うの。ハイ、次はミスターの指紋で試すよ」

…という感じで、この記事の冒頭の会話へと続くわけですが、この指紋リーダーがですね、どうも1方向からしか指紋を読み取れないみたいで、普通に親指を立てて、そのまま指紋リーダーの上に置いたら、指の向きが違うってことで、手首を掴まれて180°回されて…って感じでした。
もちろん記者の指紋を置いても認証してくれなかったわけですが、これならわざわざゲストの指紋を使ってデモしなくても良かったんじゃないかなー…じゃなくって、せめて指を置く方向を逆にしろよ!

スリシュティESDM社様、取材協力ありがとうございました。
この記事を書いている最中、「ミスター、ミスター」と熱心に説明してくれたインド人をYouTubeで発見、この人が同社の創業者・出資者にして最高経営責任者(CEO)だったと知り、フィーリングだけで解釈して勝手にキャラ付けしたのはちょっと失礼だったかなと…。でも、今さら威厳のあるセリフに書き変えるのも大変なので、このままにしておきます(笑)。

インドは世界一になったけど、日本のマイナンバーだって負けない……よね?

さて、このようにインドでは、Aadhaarカードによってまもなく「国民ID」が100%行き渡りそうな状況なのですが、そこまで順調だと知ってしまうと、我が日本の「個人番号制度」、通称「マイナンバー制度」と比べてみたくなるものの…もう言わなくてもお分かりでしょうけど、今のところ惨憺(さんたん)たる状況ですよね、マイナンバーって。

マイナちゃんのシルエット 『マイナンバー制度利活用推進ロードマップ』によれば、平成28年(2016年)1月のカード交付開始から、3月末までに1000万枚、平成31年(2019年)3月末までに8700万枚を交付する計画のようですが、これは最初の3か月間に「333万枚/月」、その後の3年間で「213万枚/月」のペースで交付することになります。 しかし、現実は2016年7月上旬現在の交付状況が636万枚とのことですので、ペースとしては「98万枚/月」。計画の三分の一から半分程度しかなく、かなり低調なようです。

マイナンバーカードはAadhaarのような生体認証こそできないものの、「国民の利便性向上」「公平・公正な社会の実現」など、Aadhaarカード同様、正当な目的を掲げて開発されました。
例えば、身分証明書として使えるのはもちろん、国や自治体の行政サービス用の各種カード類(印鑑登録カード等)や、将来的には、運転免許、健康保険証、クレジットカード等をマイナンバーカード1枚に集約できるようになるらしいです。

画像: マイナンバーカードに付加される予定の機能の一部。ただし、あくまで「予定」

マイナンバーカードに付加される予定の機能の一部。ただし、あくまで「予定」

しかし、システム構築・カード交付・維持費等の高額な費用への反発や、情報漏えいのリスク、金融所得も含めた総合課税になる可能性を懸念する人など、まだマイナンバーカードの交付を申請していない人が大多数を占めています。マイナンバーの通知書を返送しちゃった人もいるそうですし…。
インドでは政府の強い後押しでAadhaarカードが急速に普及しましたが、日本でマイナンバーがそろそろ忘れられ始めているのは、それだけ個人情報の扱いに神経質になっているのかも知れません。また、運転免許や健康保険証など、身分を証明できる物が他にもあるので、必要に迫られていないという原因もあるのでしょう。
日本とインドでは事情が異なりますので、普及のペースが異なるのも仕方がないのでしょうが、そもそもマイナンバーカード自体がまだまだ露出不足。昨年秋の制度開始時や今年1月のカード交付開始の時期には「マイナちゃん」もたくさん見かけましたが、最近はさっぱり。今度は安倍マRオでも連れてこないと、そのうち忘れ去れられるのではないでしょうか。
 
冗談はさておき、マイナンバーカードでさまざまなサービスが実際に利用できるようになって、その便利さを体感できるまでは、そうやすやすと普及しそうにないように思えます。インドがうらやましいとまでは言いませんが、せっかく数千億円もの予算を注ぎこんだのですから、このまま立ち消えてしまわないよう、早期のテコ入れと利便性の向上に取り組んでもらいたいものです。
 

《記者の『ひとりごと』》

―と、偉そうなことを書いてみたものの、記者も実はまだマイナンバーカードの交付を申請していません。 理由は単純で、以前交付してもらった住基カードの有効期限がまだ残っていることと、やはり今のところ利用できるサービスが住基カードと大差ないからです。
当時わざわざ半休を取得して区役所まで行って、1,000円の手数料を支払って交付してもらった私の住基カード(電子証明書付き)を、初回手数料無料のマイナンバーカードと交換しても、1,000円と私の半休が戻ることはなく、サービスもほぼ今までどおりなんて、そんなことで欲深で怠惰なこの記者が飛び付くはずがありません。
でも、住基カードの電子証明書は有効期限が切れてしまったので、次の確定申告までにはマイナンバーカードに切り替えなくっちゃなー、ぐらいな感じで、マイナンバーカードの普及率なんてお構いなしに「のほほ~ん」とか「のえのえぷ~」と、のんびりしているのですが…こんな状況のままでいいのか、総務省!?

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.